三崎亜記『 となり町戦争』集英社、2005年。となり町戦争作者: 三崎亜記出版社/メーカー: 集英社発売日: 2005/01/05メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 36回この商品を含むブログ (490件) を見る

 ある日、町内の広報誌に書かれた一言、「となり町との戦争がはじまりました」。
 どこで、どのような戦争が起こっているか、さっぱりわからないが、次の広報誌には、戦死者の数が出ている。どこかで、確実に、戦争は起こっているのだ。
 そして、主人公は、となり町への偵察業務を任命され……。
 
 
 第17回小説すばる新人賞受賞作。微妙に話題にもなっているみたい(僕の耳に届いてくるぐらいには)。

 なにより、シチュエーションが面白い。このシチュエーションだけで、どんぶり三杯はメシが食える。
 そして、センスもいい。
 戦争はどこかで起きているけれども、僕たちにはそれは感知しえない。ただその兆しを見かけるのは、戦争を告げる報道であり、死者の統計であり、知り合いの知り合いの死という噂といった事柄を通してだけでしかない。
 本作では、徹頭徹尾戦闘のシーンは描かれない。あるのは、人が死んだという報道であり、情報だけだ。唯一、緊迫し、いわゆる戦争を思わせるシーンにおいても、「僕は僕の中の普遍化された戦争のイメージを、今歩いているのだ」と主人公は独白している。なにかリアルな体験としての戦争は徹底的に回避されている。

 今の日本社会における戦争というものをうまく切り取って見せている。このような、「僕らは客観的な世界を把握できるという神話を生きていないこと」とは、『最終兵器 彼女』(asin:B00006LO7G)を代表とするような、セカイ系の扱ってきたテーマである。そして、『最終兵器 彼女』においては、客観的な世界などはどうでもいいものであり、僕と彼女の関係性だけが世界の全てであり、その関係性だけにより世界は織りなされるとされていたが、本作は真逆の態度を取る。僕が無関心を装っていても、世界は冷徹に動いていくという真理、すなわち無常を描いているのだ。。
 この無常を表現するのに、「お役所」をとりあげたのも良かった。議会で決められたことを粛々と実行し、どうでもいいような決まりを作って、頭が固い存在。自治体同士の戦争という設定により、「お役所」的なものとして、世界を描くことに成功しているのではないだろうか。 
 かつての村上春樹セカイ系的なテーマと文体を扱いながら*1、自分と誰かの関係性ではなく、世界の無常を描くことに重点を置いた作品はいままでなかったのではないか。
 このあたりを、ばっちし見抜いた着眼点は鋭い。

 しかししかし、こうやって、いくらでも素人が小説を語れてしまう点にこそ弱点が存在している。シチュエーションもテーマも面白いのだけど、それを小説に仕切れていない。「この作者は、こういうことをテーマにするために、こう話を組み立てたんだな」という意図が、透けて見えすぎる。文体も村上春樹的な香りも漂わせようという狙いが見て取れるもので、ヒロインとのセックスシーンも、出てくるキャラクターの造詣も、みな意図がわかりすぎるぐらい見えてしまう。
 そこらへんが興ざめポイントとなっている。ただ、大塚英志のいうところのキャラクター小説的なものとして見れば、上記の指摘は問題とはならない。キャラクター小説とは、共有認識・パターンを使いながら、過剰なまでに「わかる」ことを求めるものだからだ。明らかにセカイ系モチーフを下敷きにしている以上、割り切ってキャラクター小説にしてしまうという選択肢もありえたのではないか。
 ともかく、せっかくのいい切り出しだったのだから、もう少しだけ磨き上げれば、傑作になったのではなかろうか。惜しいなと思う。

★★★★☆。

セカイ系、キャラクター小説的な要素が盛り込まれているので、それに対するリテラシーがあるかどうかが、この小説を受容できるかどうかの鍵になるのではないか。そういう意味で、Amazonの評価欄の賛否両論は面白い。「リアルだ」という評価と「リアルじゃない」という評価が併存しているのも、キャラクター小説のリテラシーを持つ人間におけるリアルと、そうではない人間のリアルが異なることを指し示している。

*1:春樹には、『ノルウェイの森』(ISBN:4062748681)を代表とする路線と、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(ISBN:4103534109)を代表とする二つの路線があると、彼自身が『そうだ、村上さんに聞いてみよう』(ISBN:4022721375)で述べていたが、後者の路線は明らかにセカイ系の源流として、位置づけられるのではないか