いとうせいこう『解体屋外伝』講談社、1993年(isbn:4062065185)。

 言葉で喚起するイメージ、トラウマを使って、暗示をかけ相手を洗脳する洗濯屋。その暗示を解体する解体屋の戦いを描く。
 しかし、暗示とは洗脳といった特殊な技能としてのみ存在するわけではない。その実、人間の世界は暗示によってなりたっている。世界を成り立たせる究極の暗示=世界暗示(オリジナル・ランゲージ)は、「世界は無ではない。世界がある」というリアリズムの根底すらも暗示だという言語構築的な立場であった。あるいは暗示とはその用法であって、世界がある/ないという暗示の構造の外に出るというやり方といえる。洗濯屋/解体屋という精神操作者の話自体はそこまで新しさを感じないが(神林長平などの言語を主題としたSFの流れにあるのではないか、牧野修『Mouse』 (isbn:4150305412)とも似ている)、暗示を恣意的に操作せよ、「暗示の外に出ろ俺達に未来はある」、という部分が面白い。テキストにより世界があまれている、というだけに話がとどまらず、そのテキストを主体的に操作せよ、ということか。
 『ノー・ライフキング』もそうだったのだけど、ポストモダン(?)的な話のギミックが、いとうせいこうは大変に良い。ただし、叙述が子供っぽいつーか、文章が洗練されていないのが、バツ。WOMBATとかいう雑誌に連載されていたみたいだけど、子供向けの雑誌なのかな。それがよければ、もうちょっと素直に楽しめたと思うのですが。★★★★☆。