『エウレカセブン』

交響詩篇エウレカセブン 1 [DVD]

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 友達に勧められてというか、強要されて、『エウレカセブン』と『ラーゼフォン』を見た。50話+26話=76話。ざっと28時間ぐらいですか。うげげ。

 『エヴァ』にがっつりはまった身として、また『動物化するポストモダン』あたりのセカイ系話を眺めていた身としては、いろいろ妄想をたくましくしつつ見ました、よ。*1

 『エウレカ』『ラーゼフォン』ともに『エヴァ』に強い影響を受けているのは間違いないところでしょう。

 んでもって、『エヴァ』との比較っていう視点で見ると、『ラーゼフォン』は『エヴァ』とあまり大枠が変わらないかな、と。『エヴァ』は他者に対して消極的な主人公が「なにかコミュニケートしたいのです」という思いをぐるぐると回しているだけでお話が終了するわけですよね。で、『ラーゼフォン』も彼女とのつながりを保持したいという思いだけでお話が終わっている。なにが言いたいのかというと、「コミュニケートしたいぜ」という気持ちは描かれても、実際のコミュニケーションは描かれていなかったよね、ということ。

 その点が『エウレカセブン』では、ずいぶんと違っているのではないかな。一年間・50話というボリュームがあってこそだが、主人公の悩み・仲間とのコミュニケート・世界とのコミュニケートと、主人公のテーマが発展していく。中盤以降ではがっつりとコミュニケートが描かれている。自分との対話・ヒロインとの対話・仲間との対話・世界および異民族との対話とコミュニケートの対象が拡大していくさまは、「修身斉家治国平天下」でしょうか(笑)。
 あともう一つ。いわゆる「セカイ系」では、主人公の心理世界=世界であって、主人公の目に入らないような「他の世界」の存在が徹底的に排除される、という言われていた。*2が、『エウレカ』は「他の世界」の存在と、主人公とは無関係の人の営みがある程度描かれている。
 つーわけで、『エヴァ』の呪縛っつーか、セカイ系以後の物語の書き方として、ある程度の突破に成功しているのではないか。いや、おいらが知らないところで、もう好き勝手に突破しまくっているだけかもしれませんが。などとぽろぽろ考えまして。ま、楽しく見られました、よ。勧めてくれた友よ、ありがとう。

 ま、上述の大枠の話とアニメとしての面白さは別なのですが。アクションのすごさ・メカのかっこよさなんかは、なんだかんだいって『エヴァ』が一番良かったように思うし。ストーリーも『エヴァ』ほど投げっぱなしではないにせよ、『エウレカ』も最後はもうぼろぼろ。「R to E」の指輪とか「アゲハ部隊」などの伏線の未消化やデューイのガキ部下・スーパー出雲とか物語上の役どころを与えきれなかったりとかなりぐだぐだ。よーわからんけど、一年間・50話は激しくきついということなのでしょうか。

◆どうでもいい疑問:マシューとマシューの彼女、二人のロボット乗りが最後さっぱり出てこなくなったのですが、どっかで殺されてしまっていたのでしょうか?おいらが気づかなかっただけ?

*1:といっても、興味が去った後は全然おいかけていなかったので、Wikipedeaの「セカイ系」の項目に揚げられている作品は半分以上見ておりませんが(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E7%B3%BB)。

*2:少なくとも『動物化するポストモダン』はそんな風に書いていたはずだけど。。。