大澤真幸『帝国的ナショナリズム 日本とアメリカの変容』青土社、2004年。(isbn:479176160x)。

 『武蔵野美術』連載の時評を中心とした評論集。「日本の変容」、「アメリカの変容」、「現代社会の変容」、「日本とアメリカの現在」の四部構成で、時事ネタを切り口にした社会評論でした。

 大澤真幸の文章は、哲学や精神分析ラカン!)由来の用語が多くて、教養が足りない私には大変読み辛いことが多かったのですが、この本は読みやすかった。ここがまず大きな評価ポイントかも。勉強不足の人でも読める!

 ただ色々と勉強させてもらい面白かったのだけれども、なにか隙の多さと議論の古さみたいなものを感じて、没入しきれなかったのも事実。

 隙の多さに関しては、二つほど事例を。
 電子メディアが身体に直接近づいてくるという説明(ポケベルのころから変わっていない気もしますが)のなかで、「コンピュータも、ホームページに直接アクセスする。お互いに相手の家にダイレクトにコミュニケートできる、というのが新しいコミュニケーションの特徴的な形態」とかさらっと書いていますが、私の知識ではアクセスする対象はWEBサイト、またはWEBページであって、ホームページとはブラウザを立ち上げた時にまず表示されるページのことではないでしょうか。
 もう一例、クリントンの不倫疑惑について、独立検察官・スターに触れ、「その風貌からすると、純粋に善意と正義の人であるとの印象を与え」などと、やはりさらっと書いてあります。「この印象の真偽はともかく」と一応引き取りはするのですが。
 たわいもないことといえばたわいものないことであり、突っ込むほどではないような気もしますが、世の中のいろんなお話を切り結んで論を展開しているだけに、こういう隙があると、ぐっと論の怪しさが増して見えてきてしまいます。

 議論の古さに関しては、多文化主義の逆説(差異の固定性)と帝国とナショナリズムの一体性(国家という根拠を持つことによってはじめて帝国的国際関係に身を投げ入れることが出来る)というのが全体の基調となっているのですが、こういう指摘は結構聞き慣れていたりするわけで、なにか物足りなさが残りました。前書きによれば、講談社から『ナショナリズムの由来』『<自由>の条件』と二冊近刊があるようなので、そちらに期待せよということなのかな。 ★★★☆☆。