『電波男』(ISBN:4861990025)、Amazonで4位まで躍進
先日、感想を書いた『電波男』ですが、瞬間最大風速でAmazonの4位まで躍進した模様。今現在(3月17日18時)時点では、17位に落ちていたけど、正直すごいなぁ。
もともとWEBサイトしろはたのファンなので、このまま頑張って欲しいと思うのだけれども。
ただ、ネットで話題になっているから、買ってみる、批判してみるという人も結構出現しそう。
第弐齋藤 土踏まず日記さんでは、以下のようにコメント。
未読時点で感じている印象は
「酒井順子『負け犬の遠吠え』のちょうど反対側にある」かな。
「男女の間にある超えられない川」を挟んで両岸にある感じ。
両者の共通点は人類史上初めての事象に対峙している。
自分の孤独をどうするのか? という問題を抱えている。
上と絡んで、おそらくは独りで過ごすであろう老後をどうするのか?(精神・健康、両面において)
といったところ。勝利宣言してもしなくても、別にどうだっていいんだけど、
肝心なのは「この肉体」からは逃げられないってことだ。
年とったらどうする?
寂しいと思ったりはしないか?
30年後も、あんたはまだオタクなのか?
未読時のコメントに、なにか言ってもしょうがないのだけれども、比較的重要なツッコミと思う。
というのも、結局、『電波男』はフェミニズム亜流の議論の裏返しになっていて、「恋愛神聖」イデオロギーによって生じたジェンダー・ハイアラーキー批判とも読めるから。
で、徹底したフェミニズムとしては、家父長制・家族制打破、自由な個人の自由な関係、というのがあるとおもうのだけれども、『電波男』はそこまでいかない。つまり、一生、おたくとして、脳内妄想で生きていくという宣言にはならないんだよな。
むしろ、今の「恋愛資本主義社会」は、オタク・キモメンにとっては、マッドマックス的荒野の暴力が吹き荒れる辛い社会なので、脳内核シェルターにこもりやりすごせ。今の時代はそのうち変化し、その後、真の「愛」を追求できる社会が恢復するという話。
いや、結構、このあたりの論旨は、一貫しているのかどうかわかりづらいのだけれども、脳内妄想なるオタク的生を生きるということが、「愛」や「家族」への幻想を捨てることではない、むしろ「真の愛」を希求する、幻想再強化という論理になっているところは、注意すべき点。
私はこれを論理の非徹底と見るが、それはともかくとして、現状への苦しみの吐露とそれへの共感を叫ぶ人の多さを、どう見るか、っつーことなのでは、と考えています。
うまくまとまらないけど、こんな感じで。